週句 どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。
聖書 フィリピの信徒への手紙4章6~7節
説 教 「直談判」 高橋周也牧師
聖書 イザヤ書7章10~14節(参照7:1~9)
「策士の愚かさ」
まもなくクリスマスというのに、私たちは、特に戦争をはじめとした世界のほうぼうで起こり続ける災禍に心痛み続けています。私たちは何かとてつもない「恐れ」に支配され操られているのかもしれません。
世界情勢から目の前の野菜の値段一つに至るまで、私たちにはさまざまな「脅威」が迫ってきていると宣伝されています。しかし、実際に私たち一人ひとりが何か本当に具体的な何かを知っていて「恐ろしい」と判断しているというより、大きな声が何度も「危ない」というので、なんとなくボンヤリと怖いような気がしているのです。けれども、実際には、これまで起こった多くの危機は、人災によってもたらされていると言われます(発端が自然災害である場合も、そこで問題を起こすのは人間だという意味です)。
今朝の聖書箇所イザヤ書7章の時代背景は紀元前733年のシリア・エフライム戦争。大国と軍事同盟を結んだ隣国を恐れたユダ王国のアハズ王もまた、恐れたのです。強国アッシリアとの軍事同盟によって危機を脱しようとします。この王に対する聖書の評価は高くありません。なぜなら、ユダ王国ではアッシリアへの朝貢のために、人々が重い税を課されるようになり、生活が困窮したので、平和(シャローム)とは言えない状態に陥ったからです。アハズ王とそのもとにある神の民は戦争に加担すべきではありませんでしたし、優れた能力があるなら、それは片一方にくみして人の命を奪う力に肩入れするためではなく、平和を作るために用いられるべきだったのです。やがてアハズの試みは失敗し、ユダ王国は味方であったはずのアッシリアの手にかかります。
さて、本当の助けは神から来るのです。新約聖書の福音書の証言によれば、2000年前、ユダヤ・エルサレムでは、救い主誕生を聞いた人々も恐れました。クリスマスは、主イエスが恐れのなかに真の光として世に来られた出来事です。