週 句 これらのことが書かれたのは、あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである。
聖書 ヨハネによる福音書20章31節
説 教 「いざや、〇〇」 柳野知加
聖書 イザヤ書27章2~6節
「シャローム(平和!)と挨拶し続ける」 高橋周也牧師
連日「イスラエル」にまつわる戦争報道が続いています。私たちは聖書の民としてヘブライ語聖書(旧約聖書)を開き、「イスラエル」の語を用いて語り合いますけれども、みなさんにとってこの言葉はどのように響いているでしょうか。この二つを混同してはなりません。その誤りがどういう事態を招くかと言えば、例えば、「ハマスによる暴挙に対して、イスラエルは徹底抗戦を表明し、アメリカもそれに加担することを表明した」という事実によく表れています。つまり、神の名を悪用した殺し合いをまたも正当化しようとする者たちがいるのです。
おそらく多くの日本のキリスト者は、大都会ナザレで、聖書と同じ言葉でスタバやマックを注文したいなどとは、考えたこともありません。基本的に、現代の国家としての「イスラエル」にはつながりがないし、土地や文化に慣れ親しんでもいません。ただし、まったく無関係かと言えば、ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も、同じ神を信じる「神の民」としては大切なきょうだいなのです。
あるイスラエルのカメラマンは、連日続く(アメリカの意向を受けた)日本のマスコミからの「かわいそうな写真や映像」のリクエストにうんざりしている、とのこと。大きな力が私たち民衆を誘導し、善悪を決めつけさせ、誰かを憎ませようとしているのだとしたら、いったい本当の戦場はどこなのでしょうか。本当の「敵」はどこにいるのでしょうか。私たちにはどちらの「正義」も「勝利」も必要ありません。動揺して惑わされることのないよう、ただ主の言葉によって生きましょう。ただ平和を求めて祈りましょう。
「そうではなく、わたしを砦と頼む者は、わたしと和解するがよい。和解をわたしとするがよい」―イザヤ書27章5節