40│2023年10月01日

岡山バプテスト教会


週 句 それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後(あと)に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。
聖書   マルコによる福音書8章 34節

聖書朗読 
説 教 「賛成の反対の反対なのだ」  高橋周也牧師
聖書   イザヤ書3章12~15節

「循環」
 最近水曜日のお祈り会で読み始めた本で、著者の神父さんが「お祈りは循環」と書かれているのを読んで、「ああ、なるほどなあ」と思いました。「祈りは対話である」とはよくきいてきたことでしたけれども、「循環」とは新鮮でした。神との語り合いをずっと続けていく営みなのだ、ということでしょうか。読みながら、キャッチボールっていう表現でもいいだろうなあと思いました。お祈りは、こちら側が何かお願い事を並べ立てていくわけではないのでしょう。聖書を読んだり、いろんな出来事を通してだったり、時には直接神様の声がきこえるなど・・・。一方的に、「こうなんです」「ああなんです」というだけでもないし、神様から、「こうでしょ」「ああでしょ」と言われて「はい」とか「いいえ」と応えて終わるのでもないのですね。私たちの現実には、お祈りをして何か導きを受けたとしても、「わかりました。そういうふうにしてみます」と素直に言える時と、「いや、それはとても無理です」と言いたくなる時があるのではないでしょうか。循環であれば、その時にも、途切れてしまわずに、次があります。「とはいえ、こうこういう状況なんですけど、どうしたらいいでしょうか」と神様に問いかけ直していく。そういうことを続けている間に、いつの間にか自分の生き方が変わっていく、ということが、確かに、私自身の祈るという体験のなかにもあります。
 祈りだけでなく、人との関わりにおいても「循環」的な交わりができるとよいなあと思います。