37│2023年09月10日

岡山バプテスト教会


週 句 イエスの周(まわ)りにいた人々は事の成り行きを見て取り、「主よ、剣(つるぎ)で切りつけましょうか」と言った。そこでイエスは、「やめなさい。もうそれでよい」と言い、その耳に触れていやされた。
聖書 ルカによる福音書22章49,51節

説 教 「命を問う虹」   高橋周也牧師
聖書   創世記9章6~16節

「虹を見て、命を選ぶ」
 ノアの箱舟の物語の終わりに出て来る虹は、さぞ素敵なものだったでしょう。神にかたどって造られた人間は、いつも命を選び、共に生きるように召されています。洪水後の祝福では、天地創造物語のときの祝福に加えて、さらに人が人の血を流してはならない旨が強調されます。洪水前の人間の姿(人の世に満ちる「悪」)を反映した命令であったでしょう。悪に取り囲まれる時、私たちは自分の命が脅かされるのではないかと怖(おそ)れます。怯(おび)えるあまり、例えば富や力を持つことによってとか、自分に危害を加えそうな存在を牽制しあるいは潰(つぶ)すことにより安心感を得ようとします。結果として、共に生きる事とは正反対の分断が生じ、命を求めているようでいて死に支配されるのです。
 私たちは「洪水後」を生きています。今生きている私たちは皆、ノアの子孫なのです。神が祝福し契約を続けている相手は私たちです。それなら私たちは、いつも命を選び、共に生きる、血を流さずに生きるように召されているのです。虹は、神が、私たちがそういう決断をしても決して滅びないという、永遠の保証です。
 さて、虹を何色と表すかは文化による差があり、科学的にも完全に切り分けられるものではないとのこと。一つの色の中、色と色の間などなど、本当は様々な色からなっているのです。色が連続している部分にも、きっと美しさや豊かさがあるに違いありません。神様が私たちに与えてくださるものは、私たちが「見える」と思い込んでいる以上に、もっともっと実に豊かであり様々なのでしょう。
 私たちは今日「乾いた地」に立っています。命を選び、共に生きましょう。