36│2023年09月03日

岡山バプテスト教会


週 句 主よ、わたしたちの神よ、 あなたこそ、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方。あなたは万物を造られ、御心によって万物は存在し、また創造されたからです。
聖書   ヨハネの黙示録 4章 11節

説 教 「神業の待ち方」  高橋周也牧師
聖書   創世記 8章1~22

「滅びからいのちの連鎖へ」
 礼拝説教などでは、繰り返し、この洪水は自然災害とは別次元のものだということをお話してきましたが、ノアの経験した洪水の物語は、私たちに旧約聖書の神は「こわい神」だというイメージを植えつける大きな要因のひとつかもしれません。しかし、そもそもかぎかっこ付の「洪水」の背後に、人間の底知れぬ悪があり、それに対して神が心痛めてやまない状況にあったことを忘れずにいたいと思います。神は人の悪に徹底的に向かい合うことになさいました。
 さて、長きにわたる洪水の終わり、新しい世界の始まりにあたり、ノアがささげた礼拝において、神はこう言います。「人が心に思うことは、幼いときから悪いのだ。わたしは、この度したように生き物をことごとく打つことは、二度とすまい」(8章21~22節より)。これは主なる神様が人間の悪への向き合い方を変える決心でありつつ、折角生き残った人間をはじめとした命の喜びに、ある意味では水をさすような言葉です。実際「悪」はほどなくして、聖書において「バベルの塔」の物語に顕著に現れてくるわけです。
 神様は、大地を呪ったり、人間を滅ぼしたりするような仕方では、もう「悪」と戦わないのです。けれども、私たち人間の側はどうでしょう?ジェノサイド、大量破壊兵器、環境汚染・・・互いに「悪」とみなした者を殲滅しようとしたり、大地を汚したりしています。その悔い改めが十分にないまま、どんどんと突き進み続けています。主はノア一行(つまり、「洪水」の生き残りである私たち)に、ありとあらゆるいのちと共に生きるようお命じになりました。命を奪う仕方ではなく、いのちを与えあう生き方に私たちは召されているのです。そして主キリストは、私たちのためにいのちを与えてくださったのです。