32│2023年08月06日

岡山バプテスト教会


週 句 わたしの愛する兄弟たち、よくわきまえていなさい。だれでも、聞くのに早く、話すのに遅く、また怒るのに遅いようにしなさい。人の怒りは神の義を実現しないからです。
聖書   ヤコブの手紙1章 19~20節

説 教 「この物語の主人公は、主によって生まれた人たち」 高橋周也牧師
聖書   創世記4:1~12

「教会の祈り」が始まります
 キリスト教の礼拝において最も重要なプログラムは何でしょうか?東方教会では讃美、カトリックでは聖餐(私たちでいう主の晩餐のこと)、私たちバプテストを含めてプロテスタント教会では説教と答える人が多い傾向にあるようです。特に初期バプテストの礼拝では、ひとつの礼拝に、礼拝参加者の中から2人の説教者が立つことが普通であったほど、聖書をいかに読むかが大切にされています。では、キリストの教会が上記3つに大別されるようになるもっとずっと以前の時代に、最も大切にされていたプログラムは何だったでしょうか?
 答えは、聖書が読まれる事そのものと、それと同等かそれ以上に「報告」の時間でありました。報告は礼拝の中心であり、数時間かけて行われることもあったようです。誕生したばかりのキリスト教は長く迫害下にありましたから、隠れていた教会共同体にとっても個々人にとっても信仰は命懸けであり、互いの消息をよく知ることは必要不可欠でした。人々は報告をきいて、自分たち教会の歩みを神に委ねて共に祈りました。つまり「報告」とは祈りの時間でもあったのです。それは今日のキリスト教会全体にとっていかなる教派においても、改めて見直されるべき重要なプログラム、信仰のあり方であると言ってよいでしょう。個人主義が進む現代にあってなお、教会は信仰共同体であり、共同体として一緒に生きるその姿にこそ存在の意義があるからです。
 今週から試みに、礼拝のプログラムに「教会の祈り」が加わります。従来の報告も残りますが、これまで「お知らせ」されていたことや水曜祈り会で分かち合われてきたことの一部は、礼拝のその場で共に祈ることにします。限られたなかでの実践ですが、新しいプログラムを大切に過ごしてみましょう。