31│2023年07月30日

岡山バプテスト教会


週 句 実にアダムは、来るべき方を前もって表す者だったのです。しかし、恵みの賜物は罪とは比較になりません。一人の罪によって多くの人が死ぬことになったとすれば、なおさら、神の恵みと一人の人イエス・キリストの恵みの賜物とは、多くの人に豊かに注がれるのです。
聖書   ローマの信徒への手紙5章14b~15節

説 教 「可愛い子には旅をさせることにした」 高橋周也牧師
聖書   創世記3章1~24節

「現状を乗り越え、自立して歩むために」
 創世記の創造物語は、神学の世界では原因譚物語と言われます。つまり、物語を著した人々による「なぜ世界は今こうなっているのだろう?―きっとこんなことがあったんじゃないか」物語です。ということは(そして史実としても)、3章後半の人間への「呪い」とも取れる神の「判決文」は、創造物語の著者たちの時代における男女の関係性、労働の過酷さなどなど・・・彼らの目の前に広がっていた世界の現実でした(現代もそう違わないでしょう)。この事態は、神と人、人と人との関係(2章)が崩れてしまったがために起こっており、その関係は本来のあり方に正されねばならないという主張の語りです。
 ちなみに、16節の言葉は、原語のヘブライ語からすると、「あなたの苦しみと妊娠を大いに増す。あなたは苦しみの中で子どもたちを産む」と訳すのが適切なようです。生活上の諸々の苦労のなかに出産(古代女性の主な死因であった)もあり、苦しいにも関わらず、妊娠・出産は神の祝福であると信じたのです。出産の苦しみは神の女性への罰であるという捉えは誤解です。
 さて、神学者アウグスティヌス(350-430)は、この箇所を、神の呪いであり、エデンの外における世界の正しい秩序が書かれていると解釈しました。ここから原罪という信仰を生み出し、人は生まれながらに神に従う力がなく、だから教会(とそれと一体となっていた国家)によく従わなくてはならないと考えたのです。その教えは長年、教会や国家の指導者層から喜ばれてきました。けれども、この箇所がそもそも原因譚物語であるならば、現状に抗い、神の子として歩むことを励ますストーリーなのではないでしょうか。皆さんはこの物語をどのようにきくでしょうか。