30│2023年07月23日

岡山バプテスト教会


週 句 しかし、イエスは言われた。「むしろ、幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。」
聖書   ルカによる福音書11章28節

説 教 「エーゼル・ケネグドー」  高橋周也牧師
聖書   創世記2章18~25節

「エーゼル・ケネグドー」
 創世記の初めには、1章から2章4節前半までと、2章4節後半以降とに分けて、2つの創造物語が書かれています。1章で最後に造られた人間は、今度は最初に造られます。1章と2章の物語を貫いて、人間という存在が飛びぬけて大事なのです。創造物語の人間観は、徹底的な上下なしの平等です。今日の箇所に込められた創り主なる神の愛と願いをききとりたいと願います。

 そこで今朝だけは「エーゼル・ケネグドー」という、ヘブライ語そのままのまるで呪文のような説教題をおゆるしいただきたいと思います。この言葉については、「彼に合う助ける者」(新共同訳)のような翻訳が普及していますが、もう少し正確な訳(捉え)が必要と考えます。本来は神の前で共に同等に向き合うパートナーを表す言葉にも関わらず、却って女性差別の原因となるなど、ミスリードを引き起こしてきたからです。「助ける者」と訳されたエーゼルは、旧約聖書のほとんどにおいて「神は人のエーゼル」として用いられることがほとんどです。  

 また、エーゼル・ケネグドーは、「人」に与えられたのであって、アダムという名の男に与えられたと書かれているのではないことに気がつきたいと思います。新約聖書のパウロの段階で、既にこれが歪められています (コリント一11章・14章など)。こうなってしまったのには聖書翻訳の難しさも一因かもしれません(パウロ時代の人々はギリシア語訳の旧約聖書を読んでいました)。しかしそもそも私たち自身が日本語で聖書を読む時に、いわゆる「刷り込まれてきた物語」に左右されずに(つまり、書かれていることの通りに)御言葉にふれるよう心がけてみたいと思います。