週 句 だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。
聖書 コリントの信徒への手紙二 5章17節
説 教 「私たちもゆだねられている」 佐野 静樹
聖書 使徒言行録20章31~32節
「神と恵みの言葉にゆだねられて」 高橋周也牧師
本日の説教者が選んでくださった箇所の前後を改めて読んでみました。そうすると直前の29~30節には「わたしが去った後に、残忍な狼どもがあなたがたのところへ入り込んで来て・・・また、あなたがた自身の中からも、邪説を唱えて弟子たちを従わせようとする者が現れます」などと、たいそう物騒で心配になることが書かれています。パウロはここでエフェソにある教会の人びとに別れを告げようとしているわけですが、読めば読むほど「それなのに行っちゃうの!?」という驚きを覚えます。パウロは自分の愛する者たちを神に委ねたのです。
キリスト教の2000年の歴史を振り返ると、残念ながらパウロの忠告は当たっていました。中世の教会の歴史のなかでその時代のパンデミックにて、当時聖職者中心だった教会制度において6割に及ぶ聖職者が死に絶えたとしても(それをきっかけに信徒が立ち上がり、宗教改革の萌芽となりゆきます)、あるいは、御言葉を語る務めにある者たちが腐敗しきった時にも、異なる教えが巧妙に力を奮った時にも…教会は立ち帰り、力を得、前に進み続けました。時代や世界のどの場所でその回復が起こる時にも、必ずひとつの共通点があります。それは信じて生きる者一人ひとりが御言葉を大事にするということです。
パウロは私たちを「神とその恵みの言葉にゆだね」ました (32節)。私たちが今日ここにあるのは、パウロの祈りの成就でもあるのです。主の御業はどんな時代、誰に対しても、成り続けているのです。イエス様は、いつも私たちのために祈っておられます。私たちがそれを感じられない時にも、「沈黙の声」に耳を澄ませ、世界の「低くされたところ」に目を注いでみましょう。