週 句 家を建てる者の捨てた石、これが隅の親石となった。
聖書 ルカによる福音書 20章17節
説 教 「さて、どうするだろうか」 高橋周也牧師
聖書 ルカによる福音書20章9~19節
「さて、どうするだろうか」
先週木曜日、2名の教会員と共に、岡山県同宗連(同和問題にとりくむ岡山県宗教教団連絡会議)の第40回総会・記念講演会に参加してきました。1984年の結成宣言には1922年の水平社宣言が引用されており(「岡山県水平社」の創立は1923年5月9日で今年が100周年とのこと)、部落解放運動をはじめとした人権侵害への抵抗が長く続いてきたことを感じさせられます。そのことは先人から受け継いだ貴重で大変立派なことであると同時に、これほどの長期戦を経てもなお差別や人権蹂躙が起こり続けていることには嘆息を禁じ得ません。
講演で印象的だったことは、(1)「世間>法」の意識構造を変えない限り、日本の人権の現状は変わらないこと、(2)弱肉強食は生物の本能だから差別をなくすことは難しいこと、けれどもなくそうとする行為そのものがユートピアであるとのこと、(3)人間は繰り返し間違いをおかすという自覚をもつことが大切ということでした。(講師・楠木祐樹氏)
イエス様は言われました。「この最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである」(マタイ25:40)、「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」(マルコ12:29-31)。
今朝のぶどう園の譬えにふれる時、袋叩き、侮辱、負傷、追放、殺害、それらの憂き目にあった者たちの痛みに敏感でありたいものです。収穫が分け合われず、尊厳や生命を刈り取られているのは、依然として私たちの隣人の現状でもあるからです。