08│2023年02月19日

岡山バプテスト教会


週 句 神のさまざまな恵みの善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
聖書   ペトロの手紙一  4章 10節

説 教 「いったいだれのもの?」 高橋周也牧師
聖書   ルカによる福音書12章13~21節

「あなたの命はだれのもの?」
    先週は3年ぶりの交換講壇。私にとっては初めての交換講壇でした。一昨年はつい休暇を取り忘れたこともあり、岡山教会で私が不在の礼拝は実はこの約2年でたった2度目です。実は新鮮な気持ちで、時々教会を留守にするのは大切なことだなあと思いました。というのは、いつも私は牧師として、「みんなで教会を作るんだ!生きるんだ!」と思っているはずなのに、いざ出かけるとなると、インターネット配信のことなど、心配事がたくさん出てくるからなのです(そのうちに、PC操作も礼拝奉仕として当番制になるとよいですね)。実際には、多くのことは皆さんが何とかしてくださることがほとんどですが。つまりそれは、まだまだ私が握っていて、皆さんにシェアできていないことがいろいろあるからなのでしょう。行った先での大きな喜びや楽しみと同時に、そんなことを思わされた時となりました。
    さて今日の譬えには、全然ひとけがありません。「愚かな金持ち」は大きな倉を建てようと「思い巡らし」ますが、これは直訳に近づけると「自分自身の中で議論した」という意味です。人を集めてみんなで議論することに大きな価値が置かれていた世界で、彼はひとりで考えて自分の財産をしまいこみます。実はこの「しまう」という言葉は原文で「寄せ集める(シュナゴー)」という単語なのですが、ここから派生して、人が集められ礼拝が起こればシナゴーグ(ユダヤ教の会堂)という言葉ができます。これは大変な皮肉と言えそうです。皆さんはこの譬えから何を受け取るでしょうか。