07│2023年02月12日

岡山バプテスト教会


週 句 だから、どう聞くべきかに注意しなさい。
聖書   ルカ 8章18節

説 教 「目には目を歯には歯を」山丸亀城東町キリスト教会牧師 山浦良治
聖書朗読 出エジプト21章18〜25

「加害者として読む」 山浦良治
 ウクライナに侵攻したロシアのプーチン大統領の演説などを聞くたびに思うのは、彼がいつも被害者側として語っている事である。しかし、ほとんどの人が見ているのは、彼が加害者側に立っている事だろう。自分の立ち位置を間違えると物事が逆転してしまう実例かもしれない。今日の聖書の箇所にもそんな事が言えるかもしれない。
 「22もし人が互に争って、身ごもった女を撃ち、これに流産させるならば、ほかの害がなくとも、彼は必ずその女の夫の求める罰金を課せられ、裁判人の定めるとおりに支払わなければならない。 23しかし、ほかの害がある時は、命には命、 24目には目、歯には歯、手には手、足には足、 25焼き傷には焼き傷、傷には傷、打ち傷には打ち傷をもって償わなければならない。」(出エジプト記21章22~25節)
 「目には目、歯には歯」という有名な言葉は『等倍復讐法』として、復讐を認めるもので、「汝の敵を愛せよ」(マタイ5・44)というイエスの教えと相容れない残酷な掟だとよく言われる。新共同訳のマタイ福音書のこの箇所には『復讐してはならない』というタイトルがあるために、余計に復讐を認めているのだ、という先入観を持ち易い。しかし、旧約聖書のこの箇所だけでなく、その前後も読んでみよう。
 「目には目、歯には歯」「命には命」は公正な裁判を経た法による償いの仕方である。私的な復讐を容認するものではなく、加害者は被害を与えた分だけ償えという『裁き』のあるべき姿を示している。そしてこれを「完成(成就)」(マタイ5・17)させる為に来たのがイエス・キリストである。ここから始まる律法に関する教えは、それを聞くユダヤの人々には裁きの場に立たされたような気分だろう。それも被告、つまり加害者側としてだ。しかも、等倍の賠償ではなく、倍返しでの賠償を命じている。だが、被害者側に立って読むと、そんな事が見えなくなるのかもしれない。