週 句 わたしの家は、すべての民の祈りの家と呼ばれる。
聖書 イザヤ56章7節
説 教 「神の訪れをわきまえる」 高橋周也牧師
聖書 ルカによる福音書19章41~48節
「対話型教会を目指して」
本日は年に一度の総会が行われます。総会は極端に平たく言えば、私たちがどうしたら一緒に生きていけるかを考えるために共に座ることではないかと思います。考えてみると、私たちが今日この岡山バプテスト教会につどい、共に礼拝をささげているということは、そのことそのものが神様の導きの大いなる不思議です。そのことに感謝し、現状をみつめ明日へ進んでいく。そこに、なるべく多くの人と一緒に座りたいということや、神様に喜んでいただきたいということとか、互いに、また、新しい人たちとも一緒に喜んで一緒に座るためにはどうするかという要素が加わっていくのではないかと思います。
バプテスト教会とは何かと強いて言えば、「万人祭司・万人信徒」、神様の前に同じ立場の者として言葉を交わし合うところに、その醍醐味があります。そのようなあり方は、一方が片方に教える、そして、教わった側はやがて教えてくれた人と同じことを言えるようになる、そうしたシステムを再生産したり、支配者を形成し人がそれに飼いならされていく「銀行型」(byパウロ・フレイレ)とは正反対の教会づくりです。例えば初期のバプテスト教会では、説教はまさに会衆の持ち回りであり、2人の説教者が立ったと言われます。そして、それぞれの説教の後には、会衆による分かち合いがありました。今はそれとは別の仕方を取っていますが、それでも、皆さんには「私はこう思うなあ」ということをいつも大切にしていただきたいのです。「私」だけではなくて「隣の人」のことも。そのためにはよく聞いたり、相談したりしなくちゃなりません。しかもそこで止まらないで、何ができるだろうかと一緒に祈り考え実行していきたいのです。そこにこそ、平和、神の訪れがあります。