週 句 イエスは、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」とお答えになった。
聖書 ルカ 4章4節
説 教 「汝(なんじ)の敵を愛せよ」佐野清文
聖書 マタイによる福音書5:43~48
「汝の敵を愛せよ?」 高橋周也牧師
本日の説教者は、ご自身の説教に「汝の敵を愛せよ」と題をつけてくださいました。イエス様の有名な教えです。そして私たちの心に突き刺さる教えでもあります。たいへん難しく感じるからです。自分にとって「敵」とはいったい誰を、あるいは何を指すのか、そして、なぜそう思うのか。「愛する」といっても、それは具体的に何をどうすることなのか。自分がそうする動機はどこにあるのか、迎合にはならないのか。相手の誤りに加担することにならないのか・・・思いつくままに挙げてみましたが、まだまだたくさんありそうです。
与えられた箇所をぐるぐるしていると、ここで語られている「敵」とは「自分を愛してくれる人ではない人」「自分から何かを取りあげてしまうような人(徴税人はお金を持っていってしまう)」ような人のことも指すでしょうか。愛するとは?人々の挨拶は「シャローム」(平安を祈る言葉)でした。・・・そうすると、実はイエス様の「敵」は自分自身なのではないかという気がしてきました。私は神を愛しているだろうかと自分に問うてみると、とことん自信がないからです。しかし天の神様はそういう私たち全てを愛し、分け隔てなく太陽を昇らせ雨を降らせてくださる。どちらも生存に不可欠なものです。神様はご自分への愛の(足り)ない私に命をお与えくださっているのでした。
皆さんは今日神様にどんな「挨拶」をしたでしょうか。どんな優れた「愛」も、全ては祈りから始まるのです。そしてあなたは神と人から、今日どのような「挨拶」を受けたでしょうか。神と人の声に耳を塞ぐとき、そこに新たな「敵」が生まれるのです。祈りはそれへの抵抗でもあり、和解の始まりでもあります。