01│2023年01月01日 元旦礼拝

岡山バプテスト教会


週 句 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。
聖書   ルカ 2章52節

説 教 「必ず、天の窓が開く」 高橋周也牧師
聖書   マラキ書3章6-12節

「祝福。神の命が注がれていること。」
 時間をケチケチすることで、ほんとうはぜんぜんべつのなにかをケチケチしているということには、だれひとり気がついていないようでした。じぶんたち の生活が日ごとにまずしくなり、日ごとに画一的になり、日ごとに冷たくなっていることを、だれひとりみとめようとはしませんでした。でも、それをはっきり感じはじめていたのは、子どもたちでした。というのは、子どもにかまってくれる時間のあるおとなが、もうひとりもいなくなってしまったからです。   けれど時間とは、生きるということ、そのものなのです。そして人のいのちは 心を住みかとしているのです。―ミヒャエル・エンデ作・大島かおり訳『モモ』 (岩波少年文庫) 、pp.106-107。
 今朝の聖書箇所にふれる時、私は「時間泥棒」が出てくる上記の作品を思い出しました。なぜなら、神様は盗まれた者として今日の言葉を発しているし、マラキ書の語りを受けた人々もまた、不況や戦争への脅威を受けて、信仰に生きるという大切なことを盗まれていたからです。今朝の箇所に語られている「祝福」は、親なる神様のわが子に向かう決死の叫びだったのではないかと思います。ですから私たちは信仰の言葉を単に字面だけで追うことはせず、神様の語りの声としてききたいのです。そうして生きるに大切な価値あることを見失わず大切にしたい。あけましておめでとうございます。新年にあたり、そのように2023年を生きていきたいと願い、祈りを新たにいたします。

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