2022年11月20日

岡山バプテスト教会


週 句 主はエルサレムを再建し、イスラエルの追いやられた人々を集めてくださる。
聖書   詩編147編2節

説 教 「まいごのイエスさま?」高橋周也牧師
聖書   ルカによる福音書2章41~52節

「まいごのイエスさま?」
 みなさんは、イエスさまが子どものころ、まい子になったことがあるのを知っていますか?この時だいのイスラエルでは、どんな小さな村にすんでいる子どもたちでも、まい年、エルサレムという、日本でいうと東京のような大きなみやこへ出かけて行って、そでおこなわれるおまつりにさんかすることになっていました。
 イエスさまが12才(今でいうと小学6年生くらい)の時のことでした。おまつりの帰り道、イエスさまのお母さんとお父さんがふと気がづいた時には、もうイエスさまがどこにいるのかわかりませんでした。でも、親せきや友だちなど大ぜいでたびをするのがふ通だったので、と中までは「どこかにいるんだろうなあ」と思っていました。イエスさまがどこにもいないとわかって、お母さんとお父さんは、ひっしにさがし回りました。イエスさまがいそうな場所からさがし回りましたが、ようやく3日間もかかって、イエスさまを神でんで見つけました。一人前におとなの学者さんたちにまじって(※1)話を聞いたり、しつ問をしたりしていた(46せつ)のです。お母さんとお父さんは大へんびっくりしました。イエスさまは「ふしぎだな」「どうしてかな」と思うことを大切にして、先生たちによく聞きました。しゅう中しすぎてはぐれてしまったのかもしれませんね。イエスさまは、お母さんにしかられてしまいましたが、ぶ事にお家に帰ることができました。このできごとは、イエスさまが一人前になるだい一歩だったのです。(大人のための補足※1:46節原語には「真ん中に座り」ではなく、「間に座り」と書かれています。)