週 句 主の神殿の基礎が据(す)えられたので、民も皆 主を賛美し大きな叫(さけ)び声をあげた。
聖書 エズラ記3章11節
説 教 「心を定めよ!」高橋周也牧師
聖書 ハガイ書1章1~15節
「聖/正なる神殿の再建とイエス・キリスト」
ハガイ書はエズラ記の(和製英語ですが)アナザー・ストーリーです。バビロン捕囚の憂き目にあったイスラエルの民は、ついにエルサレムへの帰還と神殿再建をゆるされます。ところが、できたのは土台だけで、工事はそこから17年ほどストップしてしまいます(エズラ記4章)。北王国滅亡時に他民族との混血となった同じ神を信じる人々(サマリア人)が手伝いを申し出た時、民はそれを拒んだのですが(旧約聖書は基本的に、神殿建設は聖なる業なので、それは良いことだったというニュアンスで記しています)、それをきっかけに妨害が起こったのでした。また、民衆の士気は下がり、「まだ、主の神殿を再建する時は来ていない」(ハガイ書1章2節)というのが、20年近くも人々の合言葉となっていました。ハガイは、その人々に神の言葉を告げ、再び神殿再建の業へと促し、成し遂げさせました。預言者ハガイの名はエズラ記5章1節と6章14節に登場します。
さて500年後の同じエルサレム神殿でのイエス様の言動は、私たちに大きな問いを突き付けます。この神殿再建におけるイスラエルの民の純血主義(聖と正)を継承し、それによって多くの殉教者を出してまでこの神殿と信仰を「守り抜いた」ファリサイ派の人々に対して、イエス様は神殿の崩壊を予告し、主なる神様の真実なる慈しみと正義を告げました(だから殺されたのです)。そのイエス様にあっては、「罪人」とされた人々にも、一つのいのちとして尊重され救いの道が開かれたのです。教会は十字架の旗印の下、このイエス様のみ足の跡に従う群れです。